ずっと そばにいて

平成28年8月18日(木)18時50分 肝細胞癌の為
最愛の父が85才5か月と8日
東京で生まれ育ち 結婚 娘(私) 息子に恵まれ
 孫 ひ孫も抱き
望み通り 東大病院にて人生の幕を閉じました
大好きな父でした

死亡診断書より 

⭐C型慢性肝炎18年→肝細胞癌9年

ラジオ波焼灼療法 7回

血管塞栓術 7回 

25才頃 胃潰瘍にて輸血

1998年頃クリニックにてC型慢性肝炎と診断 


2015年10月 ラジオ波 塞栓術など治療を続けるも大動脈多発性転移の為 緩和ケアへ

2016年8月 食事摂取不良の為低血糖 肝不全憎悪 全身状態不良の為 
永眠される

癌でも長生きした父 
皆さまの少しでも参考になれば幸いです

5月18日、、9回目の月命日、、

去年、


平成28年5月18日


私にとっての初孫  父からみての初めての曾孫


ゆーとが生まれた


父が亡くなる3ヶ月前


18日、、


なんで18日だったのかな?


18日は父の月命日になる、、


忘れない為に、、❓


ゆーとの成長はそのまま父の存在していた日々から遠くなる、


忘れるわけないのにね、、


去年の5月


一緒に緩和外来に行ったね


担当の先生が3年間アメリカに行くのが決まってたけど


会えて良かったね


先生と一緒に写真を撮ったね


先生も私もお父ちゃんも  


もうこの頃にはわかっていたね、、3年後の再会はない事を


あと3年生きたいと言っていたね


ゆーとと手をつなぎ


先生と再会出来たら良かったのにね


東京オリンピックを一緒に見れたら、、なんて、、


米寿をお祝いしたりして、、、なんて、、


先生がアメリカから帰って来たら


写真渡したいなぁ


それが私の儚い夢、、、


↓ひ孫を抱けて良かった



↓先生と画像加工して、、


新しい命の誕生




会わせたかった!


会いたかったね、、、


父が大切にしていた孫娘


長女が二人目の赤ちゃんを生みました


次男坊です


11カ月違いの奇跡、、
上が5月に生まれたから
早産で3月に生まれたら
同じ学年になってしまうね、、なんて
思っていたけど
4月 予定日近くに生まれて来ました


あの夏の日 
父が亡くなった頃


もうお腹に次の命が宿っていたはず 


でも娘本人も気づいていなかったから


父は次のひ孫が生まれる事すら知らずに
逝ってしまった、、、


でも知ってしまったら悲しいね
会えないで逝くのつらいよね


次男坊に会える義理両親がうらやましいけど


それを、、比べてはいけないよね、、


一番会わせたい人が逝ってしまった、、


一番優しい人がいつだって先に逝ってしまうね、、


可愛いんだよ、、本当に、、




二人そっくりだよ

遅い桜の季節に、、8回目の月命日

去年、、桜が咲いているのに雪が降っていた、、


そんな記憶がある、


そして次女の大学 入学


長女は初めてのお産の1ヶ月前、、


私の生活の比重は完璧に娘達に向いていた


当たり前の事ではあると思ってはいる、、けど、


あんなに父には良くしてもらったのに


弱っていく父のそばにあまりいてあげれなかった、、


最後になる桜見も行かなかった、、


2年前の桜の頃


くも膜下出血で4ヶ月入院していた母が退院した


あれから1年と4ヶ月で父は逝ってしまった


退院からの時間は夫婦が仲良く家で過ごす最後の


神様からのプレゼントだったのだろうか?


多分そこに私は 入っていない


私は私の家庭を守る


次の世代を守りなさいと、、、


満開の桜がこんなに切なく悲しく映るなんて思わなかった


「生きている者のほうが大事だよ」


95才まで頑張った母の母 


私の祖母が母に贈った言葉 親を見送り


夫を見送り、息子達を見送り、友を見送り続けた祖母の言葉


父が亡くなって8ヶ月、、


次の桜の季節には


もっと笑っていられるかな、、、