仕事を続けられたのは
私が娘二人を生んでもなお仕事を続けられたのは
まぎれもなく実両親のおかげだ
義理両親は自営業で私達が結婚した当初は50代で
孫の面倒をガッツリ見るわけにはいかなかったが
実父は60をとうに過ぎていて
65才までは働いていたが
85才で逝ってしまうまでの20年間は
現在22才と20才の娘(孫)の成長そのもので
本当に沢山遊んでもらった
実両親なしに今の我が家はありえない!
私は仕事の時は実家に娘達を預けていたので
父には車での実家と我が家の往復を
数え切れないほどやってもらった
何度も書くが本当に嫌な顔をする人ではなかった
本当にみんなが好きになる様な良いじいちゃんだった
父自身も孫娘達との時間を楽しんでいたと思う
良い両親に恵まれ
私は仕事をやめる事なく続けられている
今年4がつに次女が20才になり
5月に長女の子供 初ひ孫の男の子が生まれ
草花が次の世代に命を引き継ぐかの様に
父はあっという間に弱っていった
当初は行ったこともない緩和の病院を進められていた様だが
色々な奇跡が起こり
墨田区から長年お世話になり絶対的信用を寄せている
文京区の東大病院まで救急搬送される事になる
私が 東大病院で良かったね と言うと
父は うなずいて 特別だよ と言っていた
実は墨田区から東大病院はそんなに特別ではないらしいが
私もすぐ駆けつけたが父が搬送された日の救急外来は患者も少なく
父のかかりつけという事もあり
受け入れてもらえた
8月9日の入院から18日に亡くなるまで
世は夏休み お盆休みで
15日は年金が出るからと母に何度も言っていたらしい
会わせたい人のほとんどと会い
会話も出来
85才でひ孫まで抱き
父が望んだ東大病院で最後まで意識があり
苦しむ姿を見せる事なく亡くなり
父は立派だった
何故 私がブログを立ち上げるほど つらく 悲しく
後悔しているのか、、、
それは
多分
私が他の大学病院で働く医療従事者だからだ
沢山見てきた
患者さんとその家族と共に悲しみ
治れば共に喜び
私には死に対して免疫がついていると思っていた
しかし
実親の死は
患者さんのそれとは
全く次元が違うものだった
父は私に大きな課題を残してくれた様だ
↓
実家近くからのスカイツリー
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