ずっと そばにいて

平成28年8月18日(木)18時50分 肝細胞癌の為
最愛の父が85才5か月と8日
東京で生まれ育ち 結婚 娘(私) 息子に恵まれ
 孫 ひ孫も抱き
望み通り 東大病院にて人生の幕を閉じました
大好きな父でした

死亡診断書より 

⭐C型慢性肝炎18年→肝細胞癌9年

ラジオ波焼灼療法 7回

血管塞栓術 7回 

25才頃 胃潰瘍にて輸血

1998年頃クリニックにてC型慢性肝炎と診断 


2015年10月 ラジオ波 塞栓術など治療を続けるも大動脈多発性転移の為 緩和ケアへ

2016年8月 食事摂取不良の為低血糖 肝不全憎悪 全身状態不良の為 
永眠される

癌でも長生きした父 
皆さまの少しでも参考になれば幸いです

あの日の記憶、、

あの日


日勤のナースは「今日は大丈夫ですよ」、、と言っていた 


ドクターは「呼吸が良くないから もしかすると朝方かも」


、、と言っていたと、、思う、、


だったら母と病院に泊まろうと


レンタルの布団を二組借りる為に


業者の用紙にサインをした


まだ夕方6時前


母は泊まるなら(母の)薬を持ってきてないし


泊まるのに必要ものを実家から持ってこようと、、


昼から何時間も病室にいたのに、、、


ここで


父に「あとで又来るね」と手を振って病室をあとに


してしまった、、、、


父は笑っていた、、




たとえば これが映画のワンシーンならば


あっ! そこで動いたら駄目❗


そばにいなくちゃ❗


なんかヤバそう、、位に思ったかもしれない、、、




もう時間は戻らない 録り直しは出来ない




私と次女は病室を出てしまった


なんで動いてしまったんだろう

 

あんなに何時間も側にいたのに、、、


もう二重扉の個室に移されていたのに、、


病室を出て30分、、、


携帯が鳴る


母から「戻ってきて」、、と


、、、、、


急いで病室に戻る


母「じいちゃん一人で逝っちゃったよ」と、、


、、、、


父は痰をナースに吸引してもらい


母の「じいちゃん大丈夫?」の問に


「うん!」としっかり答え


人生最後の呼吸をして

 

スーと、、逝ってしまった、、、らしい、、、



急変、、



DNAR、、、




急変時 何もしないと


家族で決めた、、、





ドクターは私を見るなり


「普通なら意識が混濁してくるんですけど」、、云々、、


言い出したので


「先生いいんです!母がいましたから」


と、、、私、、、


私と次女は病室をあとにしてしまった


後悔はあるのだけど


母がいて心から良かったと思う



父は母と二人きりが良かったのだ❗


   



父は


最後の最後までしっかり意識があり


本当に立派だった


若い主治医もびっくりしてた


【そういう人だったんでしょう】、、と



あの日の記憶、、


薄れて行く前に、、、


書き留めておきます、、




夏、、


雨の日、、


個室から見えた建築中の別館、、、




翌日 夏らしい綺麗な空


地下2階の霊安室から見送られ駐車場の


坂を斜めに上がる車から


目に飛び込んできたのは 


スカイツリー、、